ヌーソの皿の上

福祉とpc関係の記事です

共同生活・集団生活を拒むということって

人は干渉されるのをとても嫌がる生き物ですよね。
老人ホームに入りたがらない高齢者や、生活保護などの利用による一時保護施設(シェルター)を拒む路上生活者。
保護者と離れることより、保育園自体が嫌いな園児。

 

これは結構福祉と密接にかかわっているように思えます。

そのことを、素人なりに思いを馳せてみました。
約10万年前、ネアンデルタール人は洞窟に住んでおり、ホモサピエンスは洞窟だけでなく狩りのしやすいように草原にキャンプもしたそうです。
男性は狩りをするため男性同士で狩猟集団を作り、女性も洞窟という狭い空間で、男性たちが狩りから帰ってくるまで同じ女性同士の共同生活をしていたそうです。
要するに性別に関係なく、集団で生活をしないと「食」にありつけなかった時代が、現代史よりも長くあったことになります。


集団のリーダーというのが必ずいい立場だったとは言いませんが、集団にいるというのは集団に対し従順に従わなければなりません。
そこには命令者に従わなければなりませんし、それにより虐げられた立場の者もいたはずです。


きっと私たちは何万年も組み込まれたDNAにより、自ずと集団に対してその体験をすることへの恐怖心を感じる・・・。

というのが、ごくごくベターな考え方だ思うんです。
でも実際そうなんでしょうか?この考え方ってもう古いような気がしています。

確かに、古代の社会でも河原で一人暮らしをしている人の話など、あえて住居を持たなかった人の話もみたことがあります。
ですが、近年DNAは環境により書き換えられていることがわかってきました。

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人は生きるために、環境に適応し、環境により遺伝子をも組み替えるそうです。
そんな賢い人間が、なぜ集団生活に距離を置くのか・・・。

もちろんそこには集団生活を営めない、ルールや共同生活ができない人もおり、近年発達障がいという分類をされるようになってきました。
そして、大人でも集団生活ができない人を注意欠陥多動性障害という括りに区別するようになりました。

 

どうもこのことが私には納得できないんです。本人が治そうとしても治せないんだから、「障がい」という括りにしてしまう・・・。
なら高齢者で施設に入りたがらない人も、「障がい」だというのでしょうか?保育園児は発達途中だとして、高齢者はこれ以上発達できないから別なんでしょうか?

 

集団生活というのは、人から干渉されることによる精神的疲労が強いという側面が強く、高齢者の場合、加齢に伴い疲労回復が遅くなってきたためであろう・・・と。では幼児や成人の場合はとなれば、集団生活に対しての学習習得不足による「不安」が強いため、と考えるべきなんではないかと。

 

自分で書いてみて、ごくごく×2、一般的な回答になってしまいました(笑)


ただ先日目にしたお悩み相談では、集団生活に馴染めないことを、DNAや発達障がいによるものと位置づける考え方が多かったので、つい一石を投じたくなりました。

現代社会はなんでも「障がい」などに括りすぎだと思っています。「障がい」と言われて楽になる人もいるでしょうが、安易な位置づけ・大別はどうも私は好みません。