ヌーソの皿の上

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ジム通いとメンタルヘルスについて考える

Xの方ではよくポストしていますが、最近ジムに通っています。

 

ジムに通ってみて思うのは、ジムに通う方はまじめな人が多いなということです。

私が通っている時間は私よりもご年配の方が多く、毎日、健康のために一生懸命にランニングマシンで走っている姿をみると、頭が下がる思いがします。

 

自分がジムに通っている理由は、適正体重になること(笑)と、重要なポイントとしてはメンタル(精神)面の健康維持のためです。昨年の年末年始、職場でいろいろあり、メンタルをかなり削られました。まだ後遺症かなという状態なので、なにより運動を取り入れ、メンタル面での健康を取り戻したいと考えています。

 

その自分というレンズを通してみてみると、ジムに通う諸先輩方の姿は、歳を重ねる先に、自分のフィジカル面だけでなく、メンタル面の健康維持のためにも運動をされている方が多いと想像します。

 

認知症予防のためにも、積極的に運動を取り入れる必要があるとされています。歳をとればとるほど、何が何でも運動が必要になり、さらにはフィジカル・メンタルの両面からくる老いとの戦いがあるのだと感じます。

 

その戦いに積極的に挑む姿こそが、ジムに通う諸先輩方なのだと思うため、「まじめ」だと感じてしまうのです。

 

自分も通っておきながらも、その「まじめ」さという手段と、一辺倒な戦法しかないという、実に不器用な面も感じています。

 

シニア層でも、筋肉美を競う大会や、マラソンの大会などに参加し、毎日の運動成果を形にする方もいらっしゃいます。そのようになにか形にできる方は、その目標に向かうことができますが、私の様に、健康診断での良好な結果のためだけに、健康維持をしているような人間は、どこを目標に向かうのでしょうか?とにかく、診断結果という通知表のために毎日運動をしている気がして、成績表のあった学生の頃と変わらない毎日だと感じてしまいます。

 

そして、なにをするにしても「まじめ」という取り柄にすがる自分しかいないわけです。

自分自身を評価すれば、その「まじめ」さや、「一途」さが自分の精神を苦しめた面もあります。結局、自分を良くするのも、悪くしているのもこの「まじめ」さな気がしてきています。

 

きっとこれからの日本人の老いとの戦いには、「まじめ」という一本槍では駄目なんだろうなと思うのです。「まじめ」だけでなく、毎日をより楽しめる目標や、動機付けの元、その先に運動や介護予防があるのではないかと思います。

 

と、思いながらも、ただ毎日ランニングマシンに乗っています(笑)