1.概要・あらすじ・見どころなど
“実際の障害者殺傷事件を題材に、2017年に発表された辺見庸の小説「月」。
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それを映画化するということは、この社会において、禁忌タブーとされる領域の奥深くへと大胆に踏み込むことだった・・・。
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もはや社会派だとか、ヒューマンドラマだとか、有り体の言葉では片づけられない。
なぜならこの作品が描いている本質は、社会が、そして個人が問題に対して“見て見ぬふり”をしてきた現実をつまびらかにしているからだ。
”
というふれこみと、実際あった事件というのは相模原障害者施設殺傷事件ということで、これは行かなくてはならないと思ったわけです。
実際の事件とは
相模原障害者施設殺傷事件 「津久井やまゆり園」
事件に関係したことは相当調べられただろうなという印象も強かったです。
登場人物たちは、全員苦悩と闇を抱えており、その不安定さが主人公を主軸に明らかになると共に、実際に事件のあった日付である2016年7月26日に向けて、その危うさが徐々に形を成していくようなストーリーでした。
登場人物たちは全員文才や絵の才能、動画作成などの能力を持ちその才能が世に評価されずにいる状態に苦しんでいる様子があります。
実際に植松死刑因の絵の才能についてはみなさんも知るところだと思っています。
https://news.yahoo.co.jp/articles/d16ab69aa59cb3e8ae67fbe7321966700937274c
作中の中でも、その絵の才能から「ヒットラー」になぞらえる部分も出てきます。
紹介にもあるように、かなり俳優さんたちの意気込みを感じ、熱演に引き込まれました
特に私は、実際にお子さんを亡くされているオダギリジョーさんの、演技と言えないくらいの、役ではないありのままの姿が映されているように見え、心情を汲むと胸が引き裂かれそうになりました。
2.個人の感想
ここからは私の感想になりますが、ここまでよく暗く作ったというか、全編重く苦しい内容になっています。
実際に原作を読んでいませんし、私は映画のことはわからないのですが、そこまで障がい者施設って暗くないですよ・・・。
いくつか印象に残っているものを紹介すると
・動けない利用者さんなのに外から鍵を閉めるという異常性
を紹介する映像がありましたが、その部屋にコンクリートブロックむき出しの角があるんです。もし歩けるような利用者さんが入居してぶつけたら死んじゃいますよ。
利用者さんはよく壁紙をはがすので、あのような壁ではあるんですが、けがをしないようにコンパネやボードを貼ったりするものです。ま、それでも利用者さんはほじっちゃうんですが(笑)
・臭い
障がい者施設って、ほかの福祉施設と比べても臭いんですよねーと思ってたら、作中でも「臭い」の連呼でした。実際促しても、歯を磨かない、お風呂に入りたがらない利用者さんもいるので、これは確かで何も反論できません。
・痛い
支援員が利用者さんの振り回す腕にぶつかり、痛がるシーンもありました。いやいやもっと痛いですよ(笑) 車いすにひかれるのは日常茶飯事ですし。一番痛かったのは、ストレッチャーを自操する利用者さんの、ストレッチャーの角が私の後頭部に刺さった時ですね。
先輩には、「そんなに高速移動できるわけじゃないんだから痛いわけない」と私の痛覚の方を疑われましたが(笑)
・弄便(ろうべん)は慣れる
施設は特に乾燥しているので、体やパイプベッドの便は乾いたら取れないから、直ぐ拭かないと・・・。乾いてから拭くとなれば、一度湿らすか蒸してから拭くことになるんで、その方が手間なんですよ。
大体その現場をみて、狼狽するような施設職員なんているもんでしょうか?福祉従事者を舐めてもらっては困りますね。
・もっとにぎやか
「ロンロン」と訳の分からないことをずっと聞かなければならない などとも言ってました。
いやいや、パソコン作業している私の真横でずっと「ロンロン」言われ続けても、記録を書く集中力を養う場所ですよ?
スタバでMacbookを開くようなそんな上品な世界じゃありません。そもそもコーヒーはコップで飲んでたらこぼされるから、水筒で飲んでましたし(笑)
・もっと気を遣ってくれる
利用者さんに紙芝居を読んだら、かなり渋々と拍手をしてくれるし、全然見てなかったのに「おもしろかった」と言ってくれますよ(笑)
人懐っこい利用者さんもいるから、出勤しただけで大喜びしてくれる人もいますし。
その楽しさがあるから、続けられる仕事なのに・・・。
・居室ドアの丸窓
そういえば私の知る知的障がい者施設の居室の窓って、大きさの違いはあれど、ドアは丸窓が多かったですね。映画の中でも、月を印象付けるかのように、鏡越しで話すときなども丸い鏡を使っていました。
居室の丸窓から、支援員が利用者さんの状態を見る姿を「月」になぞらえ、題名にしたんですかね?
3.主題であろう優生思想について
実際に植松死刑因は、入居者が「しゃべれるか、しゃべれないか」と確認しながら、職員を連れ回したとされています。
人が人であることは、果たして「心があること」「しゃべれること」なのでしょうか?
登場人物は、全員才能にとらわれすぎており、障がい者の生死について考え、執筆する主人公すら、夫の才能が評価されたことに涙をします。社会全体がこの問題に歯車の合わない考え方をしているというメッセージなんだろうなと思って見ていました。
でも、現実の施設職員はもっと鈍感で、それでいて、もっと強く頑強なんだと思っています。
そこに、共生ってものの道筋があるのではないでしょうか?
私は福祉従事者である以上、優生思想に対して真っ向から反対したい立場にあります。
でも優生思想のない、理想の世界が来た先のことまで思考を這わせると、付随する色々な問題があることにも気づかされました。
一例でいえば、愛があり相思相愛の元での近親相姦は認められるのでしょうか?たとえ、体の弱い子どもが生まれるリスクが高くても、その人たちが子を望むことに賛成できるか・・・。
「お母さんも望んでいるから、お母さんとの子どもが欲しい」と主張する男性がいたとして、その主張に反対することは優生思想なのではないのか、と考えてしまうのです。
みんなが分かり合える共生の道のりは長いなと感じました。