ヌーソの皿の上

福祉とpc関係の記事です

福祉3.0(1) 時代の変化

 

1.時代が変わった

 この標題を記事にしようと思いついたのは今年の春頃でした。でも書こうと思えば思うほど、その内容の量の多さと、わかりやすくする方法に思い悩んでいた結果、今年暮れになり、おしりに火が付いたというのが現状です。

 この記事を思いついたきっかけは、今年2023年6月に施行された「LGBT理解増進法」でした。LGBTQの当事者および関係者をはじめ、国会や世論を交え制定されたこの法案。内容の不足さを揶揄されながらも、「やっと」制定されたと報道されていました。

 この「やっと」という言葉にどうも引っかかってしまい、気おくれしてしまったんです。そんなに「やっと」だったかと。

 

 私は、私のブログの強みについて、福祉に関わる知識に関しての守備範囲の広さだ、と自負していました。

介護・保育・社会福祉法人会計、どれも専門家からみれば足るものでないにしろ、全くわからない代物はないからこそ、ブログを書こうと思い、始めました。

その自分が、LGBTQという社会福祉にも大きくかかわる問題なのに、大きく進みだしたことに気おくれしたのか。

 

比較する問題ではないにしろ、日本やこの地球上の最大の問題には、「貧困」があるはずです。

貧困の原因もさることながら、及ぼす影響力もとても大きく、そしてこの問題は人類史にも大きくかかわってきました。現代日本でも、老後問題、シングルマザーの貧困、障がい者同士の結婚などにも付随・波及して影響を及ぼしています。これら積年の問題解決より先に、LGBTQへのほう案が通ったことが、私が気おくれした大きな理由だと自分では分析しています。

 

 なぜ、貧困よりLGBTQの理解が進んだのか。その根底にあるのも「お金」ではないでしょうか?もちろん、貧困問題解決に対して「費用」が掛かるという側面もあります。でも特筆するべきはLGBTQに対しての啓蒙活動にあると思います。SDGsダイバーシティ(多様性)という言葉と一緒に、世界中で啓蒙活動が行われていますよね。特に日本の活動資金には、行政による財政支出は少なく、企業や民間および個人寄付から成り立っているそうです。 素晴らしい取り組みだからこそ、その下支えになる支援も大きいことが証明されました。

貧困問題に対しても、同じようにみんなで悩み、支援をしている方々も多くいると思います。

でも、LGBTQのような大きな進捗には結びついていませんよね。

 

 そして、この気おくれが「時代が変わり、福祉のバージョンも変わったのではないか」と考える変化のきっかけになりました。

 

 

2.桃源郷の果て

 日本の福祉のバージョンに線引きをするとすれば

福祉1.0 創成期 ~2000年まで YMCAやお寺、一部の富豪たちによる、弱者対策・奉仕活動。行政から社会福祉法人などへ「措置」が行われた時代

 

福祉2.0 福祉ビジネス時代幕開け 2000年~2020年 北欧の福祉国家・福祉先進国に憧れ、目指しだし、「措置」から保険や委託費への転換。福祉がビジネス化された。

 

行政の財政出動だけではまかないきれない状態になったので「措置」になり、「措置」でも間に合わなくなったから介護保険や委託へと進んだともいえますよね。

 

でもこれは、結局のところ日本の経済に依存した、経済頼みの「行政の福祉」だったわけです。

北欧のような、ゆりかごから墓場までを憧れたのに、それよりも先に社会保障という名の富の再分配の限界がきてしまいました。もしかしたら、もうとっくに突破はしているのかもしれません。

 

その原因と理由を挙げれば、いくつも出てきてしまいますが、その一例でいえば、2000年当初は、高齢者の所有する財産を日本経済の回転に使うため、高齢者の支出を期待した部分もありましたよね。でもそれは逆に、高齢者の財布のひもを締めるようなきっかけにもなったような気がしています。

 

個人からの福祉への出資は叶わなかったとも言えます。

 

世界経済は、グローバルサウスへの移行が進み、中国は大躍進しました。躍進した理由はその低い人件費であり、アップルを含め世界中が人件費の抑圧こそ王道と考えるようになりました。

仕事をグローバルサウスへ委託してしまうため、日本でも貧富の差が広がり、二極化が進んだとされています。

そもそも仕事を人件費の安い他国に任せているのに、自国のGDP国内総生産)が上がるわけないですよね。

自国の経済停滞が起きれば、必然的に福祉、社会保障費の頭打ちがおきます。

 

福祉を必要とする少子高齢化が進んでいますが、福祉そのものの巨大化は限界にきたため、その割り振られる社会保障費の取り分を、高齢者福祉、児童福祉でせめぎ合っているような図になってしまいました。

参照元:保育の基準「改善」と 介護の基準「緩和」が同時進行する風景

https://i.care-mane.com/news/entry/tanaka20230413

 

ここまでを福祉ver2.0とします。そして、次に本当の意味での、個人の福祉への出資の時代が来ました。

 

それが福祉3.0なんだと思います。

 

3.アフリカの現状

個人が福祉への出資をする時代「福祉3.0」へのきっかけは、大きな指標がLGBTQ問題だったことは上記しました。ですが、福祉そのもの自体も変化が起き始めています。

 

アフリカに目を向けてみましょう。結局福祉もグローバルサウスに話が移るんです。

これまでの福祉は、経済頼みでした。そしてその経済を回し、社会発展するには、大きな会社だけでなく、人、人口が最も重要だったことがアフリカの発展で裏付けされましたよね。

中国の次のグローバルサウスである、インドやアフリカ諸国が熱視線を注がれているのも、人口でありその労働力です。

 

そのアフリカで起きている現象は、これまでの先進国と大きく異なります。

生活に必要な上下水道や道路の整備はされていなくても、アフリカのスマホ普及率は80.8%と高い数値になっています。

引用元:総務省

https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h29/html/nc144210.html#:~:text=%E6%90%BA%E5%B8%AF%E9%9B%BB%E8%A9%B1%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E6%99%AE%E5%8F%8A,%E5%B7%AE%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%8F%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%80%82

 

電気は必要最低限あるとしても、トイレなどが整備されるよりスマホを欲しているんです。

平均寿命そのものが若いということも理由の一つには挙げられます。

ですが、欧州型の福祉制度にあこがれた日本は、社会発展とともに弱者救済が行われ、弱者救済こそ福祉と考えてきたのに、アフリカでは社会発展をしても弱者救済へ考え方がシフトされていないのです。あの高齢化率19%もある中国の社会保障制度にすら、介護保険はありません(モデル事業は実施されています)

 

そして考えてみてください。平均寿命が若いということは高齢者の福祉問題が起きにくく、保育所は整備されていないが出生率は高いまま推移されています。

この状態から言えば、福祉はスマホに負けたとは言えないでしょうか?

 

 

次回は福祉3.0(2) 企業先導型福祉サービスの可能性とは を掲載します。

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