ヌーソの皿の上

福祉とpc関係の記事です

福祉人とイデオロギー

 

1.福祉人って古い言葉でしょうか?

今、福祉従事者で自分を「福祉人」などと呼ぶ人はもういないのではないでしょうか?

そのはずで、私が勤めだした頃にはもうほとんど聞いたことのない言葉です。

文献や古い福祉に関する書籍でしか目にしない言葉で、googleで調べても私が意図したものは出てきませんでした。

 

私の印象では、団塊世代よりも上の世代の人たちが使っていた言葉の様に感じます。

なので使い方を誤ると、それはそれはこっぴどく怒られたことを覚えています。

 

団塊世代より上となれば、学生運動などが活発な頃の世代です。

今の福祉といえば、「公的サービス」という意味合いが強いですよね。「福祉の向上」ときけば「公的サービスの充実」と同義に聞こえる時代ですが、「福祉人」を目指したこの世代の人たちにとっては、全くそうはとらえません。

 

愚直なまでの「社会全体の幸福の追求」こそが「福祉の向上」だったのではないでしょうか。(もう怖くて、間違えていないかビクビクしています)

 

大先輩方を、失礼ながら抽象化させていただければ、福祉そのもののイデオロギーを感じさせる世代だというのが私の印象です。

 

イデオロギー

(独: Ideologie, 英: ideology)とは、観念(idea)と思想(logos)を組み合わせた言葉であり観念形態である。思想形態とも呼ばれる。

~中略~

通常は政治や宗教における観念を指しており、政治的意味や宗教的意味が含まれている。

引用元:ウィキペディア

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%87%E3%82%AA%E3%83%AD%E3%82%AE%E3%83%BC

 

このイデオロギー、時代の流れ上、なかなか厄介なことも多々ありました(その話はまた別の機会に)。

でも、駆け出しのころの私には紛れもない尊敬と、カッコいい大人たちの姿が「福祉人」たちでした。

 

 

2.息の根をとめることが福祉なのか?

どのように、今の福祉従事者と「福祉人」の違いを説明すればいいのかずいぶん悩みました。

でも私などが説明するのではおこがましいというのが率直なところです。

ただ、こんなエピソードがありました。

私の若い頃は、介護保険が本格稼働し、一般企業が福祉業界に大量に参入する時代でした。

福祉法人に勤める身として、それは大きな危機感を感じていました。

 

こんな記事も書いているので、一緒にご覧いただければ

https://nu-so.hatenablog.com/entry/2021/04/03/173102

 

一般企業のような経営・財務に対しての厳しさと、さまざまなことを試行錯誤しながらも試していく業種、その畑違いの土壌はどこか動きの鈍い福祉業界において、このままではいけないと感じさせました。

その姿勢は、私が選定を任された業者へも向けられました。「いいもの」「悪いもの」の線引き、区切りをはっきりさせ、「使えない」ような業者は早急に関係を切ることにしていました。

 

そんなある時、ある業者が大きなミスをしました。かつ「何が悪い」という姿勢で私に迫ってきたんです。古くからうちの法人と関係のあった業者だったため、「これくらいのミス」とでも言いたいかのようでした。特に利用者に関わることだったので、私は憤慨し、全契約の解除を上申しました。

細かくはすべて書けませんが、うちの契約がなくなればその業者は会社そのものが持たないような零細企業でした。そのことを知っていた福祉人の上司は私にこんなことを言いました。

 

「息の根をとめることが福祉なのか?」

 

聞いた時は、なにをトロ臭いことをと、そんなことだから日本の福祉は低く見られているのだと憤慨したはずです。

でも、この言葉はその後の私をずっと捉えて離さない言葉になりました。

如何に営利関係においてもその言葉が判断基準になりました。そこに「福祉人」としてのプライドや、イデオロギーがそぐわないような行動をとること自体を戒める言葉になってしまったのです。

 

私の行動原理にまでなるとは、結局私は「福祉人」のイデオロギーに染められてしまったのだと思っています。

 

3.福祉に携わる者として

SNSをやっているので、同じ福祉従事者の方のツイートをよく拝見しています。

福祉従事者と言えども人ですから、腹が立つことがあれば怒ることは当たり前だと思います。それでも、福祉に携わっているんですよね?どこか腹の立つ相手を徹底的に叩こう、貶めよう、吊るし上げようとする言葉を目にするんです。

先日、自殺された芸能人の方のことについても、「子どもがかわいそうだ」「親として無責任だ」「残された奥さんのことを考えていない」「自殺という逃げ」などとの投稿も目にしました。

その言葉が同業者だったので、福祉従事者として、自死という選択をさせたことへの福祉のふがいなさは感じないのでしょうか?

それどころか、死に追い込んだだけでなく、あろうことか死んだ後にまで追及をするとは。

「屍に鞭打つ」とは「ことの厳しさ」を表現する言葉ではなく、「むごさ」を表現する言葉です。

 

同じ福祉従事者として問いたいです、「息の根をとめることが福祉なんでしょうか?」