福祉従事者は、利用者のQOL(生活の質)の向上に善処することが求められている仕事です。
“どれだけ人間らしい生活や自分らしい生活を送り、人生に幸福を見出している”
では、この福祉従事者自身のQOLの向上は?と考えたところから書きました。
福祉という仕事って
福祉の仕事って、率直に社会的地位のある仕事でしょうか?高齢・保育・障がい、どの仕事も人の命に関わる仕事です。社会インフラ(国民福祉の向上と国民経済の発展に必要な公共サービス)だというのは間違いないことですが、インフラという言葉は「インフラストラクチャー」の略であり、その意味は「下部構造」を指す観念的な用語ですよね?
私たちが社会インフラの一部ということは、自らを下部構造の一部だと宣言もしているわけです。
このようなことを連ねると、ただのひがみの様になってしまいますが、他の業種の人が「福祉従事者をリスペクトする」などと言っているのを見ると、ならやってみてくださいよと言いたくなるんです。
それくらい、なろうと思えば簡単になれる職、いわば職としての終着駅なんでしょうね。
幾度となく、福祉従事者の給与向上を政治家さんたちは宣言を繰り返し、確かに給与は上がりはしましたけど、それとともに社会的地位が上がったかというと全くの実感はありません。
福祉という仕事には、ある種の劣等感が根強く(私だけ?)あるように思うのです。
それは福祉事業の市場開放による、民間事業者の参入が、福祉よりもサービスという部分を強調してしまったのだと感じるのです。
それまでの福祉という救済の仕事だったものが、気軽に利用できる公共のサービスという、手軽で、それでいて丁寧で、きめ細かなサービスを求められるようになったのだと感じます。
それはクリエイティブ(創造的・独創的・想像力のある・工夫して作る・編み出される)な仕事というより、全国一律の公共的に共通したサービスという、まさに対義語になるイミテイティブ(模倣的)なサービスなのではないでしょうか?
スーツを着る仕事
広域連続強盗事件に関する記事を読んでいたところ
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特殊詐欺事件に関わった少年の取材によると
「スーツを着てきてほしいといわれたことが嬉しかった。スーツを着る仕事なんて自分ができると思わなかった
~中略~
スーツは社会的に認められた真っ当な仕事のイメージに結び付きやすい。よく知らない大人からスーツを着る仕事だといわれ、喜んで出かけたら詐欺の片棒を担がされ~
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※参照元がネットの記事には上がっていないため、リンク先なし
という記事を読んだんです。はっきり言ってショックな出来事でした。
スーツを着る仕事というのは、社会的に認められ、そして着てきてと言われるとうれしい仕事なんだということにです。
福祉関係の仕事でスーツを着る人は、ごくごく限られた相談業務などの仕事だけですよね。となれば福祉という仕事は社会的に認められなく、若者には勧めても喜ばれない仕事だということですよね。まさか、詐欺の仕事より魅力がないのかと思ってしまいます。
さらに、感情労働
福祉という仕事は、肉体労働で頭脳労働で、かつ感情労働でもあります。
感情労働とは
“感情が労働内容の不可欠な要素であり、かつ適切・不適切な感情がルール化されている労働のこと”
引用元:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9F%E6%83%85%E5%8A%B4%E5%83%8D
このwikiの文面のままだと思います。
“感情労働に従事する者は、たとえ相手の一方的な誤解や失念、無知、無礼、怒りや気分、腹いせや悪意、嫌がらせによる理不尽かつ非常識、非礼な要求、主張であっても、自分の感情を押し殺し、決して表には出さず、常に礼儀正しく明朗快活にふるまい、相手の言い分をじっくり聴き、的確な対応、処理、サービスを提供し、相手に対策を助言しなければならない。”
これを求められる、健全とは言いがたい精神状態下で働く仕事は、まさに福祉の仕事ですよね。
でもこの部分は否定できない内容であり、この部分を省いたりしての支援はありえません。
だれの責任?
福祉という仕事は、下部構造のイミテイティブで、スーツは着ない、感情労働とどこに魅力を探せばいいのかと思ってしまいます。
こんな記事を書きましたが、
そして、福祉従事者の虐待や不適切な支援など、福祉業界自体の未成熟な部分も否めません。
でも、どうしてこんなに仕事として魅力を感じさせない仕事になってしまったのでしょうか?
こうなってしまった原因は誰なのかと考えると、たどり着くのは福祉従事者というよりも、その役割をマネジメントすべき管理者の責任なのではないかと考えがたどり着きます。
この20年間、福祉施設の管理者は、元公務員や銀行員、会社経営者、医師に公認会計士など、結局福祉畑ではない、金銭面の経営に関してのバックグラウンドがある方々がなられている印象を受けます。
その人たちは、金銭面に関して特化していたばかりに、福祉という仕事そのものへのリスペクトはなかったことが、このような魅力ない仕事ととして脚光を浴びさせている結果を導いてしまったのではないでしょうか?
私がお会いしてきた管理者のその多くの方は、自分の知識のマウントの取り合いなど、その方向性自体にマニアックなものを感じさせる人が多かったように感じています。
福祉従事者のQOLを上げるには、元来の救済としての福祉に着目してもらえるようなイメージ戦略が、これからの福祉には必要だと感じています。