ヌーソの皿の上

福祉とpc関係の記事です

保育園こそスマートスピーカーの導入を

スマートフォンの生みの親であるスティージョブズは、自分の子に14歳までipadを含め触らせなかったというのは有名ですよね。

 

 

 

誰が、子育て・保育をしているの?

 

よくニュースなどでも耳にする言葉で、「スマートフォンが子守をしている」などと揶揄し、その危険性を問うニュースなども目にする機会があります。そのためか、全国の保育園で園児にスマートフォンを渡して保育を行っているところというのは、極論ないといえると思います。

この揶揄、もっと昔に聞いたことがあります。保育園でバスを使用して外出行事が年間で増えたときに、上司が「バスが保育をしているようだ」と厳しめなことを言っていました。しかし車内で子どもたちと関わっているのは保育士ですから賛同もできませんが、子育て・保育の神髄は子どもとの関わり合いだと上司は言いたかったと今は解釈しています。

 

プログラミングの必要性

 

この反対側に、幼児期にプログラミングを習わせるべきだと考えている親がいます。プログラミングは将来仕事に役立つ、日本でも義務教育に取り入れられた、インドでは先進的に取り組んでいるという言葉が先行しているのでしょうが、プログラミングはよくてスマートフォンはだめな理由はどこにあるのでしょうか?
自分など、DOS・ベーシックから始まって、ついこの間までフラッシュプレイヤーを勉強しようと思っていました。凄まじい時代錯誤の話ですが、プログラムの世界ですらなかなかのすごいスピードで進化をしています。子どもたちが大人になる10年~15年先のプログラムに通用する基礎を養うというのは、相当な時間を要するとは思えないでしょうか・・・。個人的意見です。


何が違うのか?

 

プログラミングとスマートフォンを並べて見たときに、なぜ子どもたちの大半はスマートフォンを手に取るのでしょう。簡単なことで、楽しいからですよね?面白いことですぐ手に入る。それに比べプログラミングは、ものが実際に動き出すまでに結構な時間を要します。さらに実用的なインターネットを介し、動かすとなると相当な勉強量を有することになります。

それなら、ユーザーインターフェースの勉強としてスマートフォンを触らせるほうが、その部分だけの吸収量は多く、WEB・アプリケーションの基礎的な知識になるのではないでしょうか?

 

かといってスマートフォンを長時間子どもたちに触らせておくことは、依存症を生み出し悪影響を及ぼしかねません。それにアプリケーションばかりに偏るとインターネットの有益性を知る恩恵が薄くなってしまいます。

 

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掃除

 

提案

インターネットの有益性を知り、かつ、子どもたちでも手軽に関われるもの、それがスマートスピーカーなのではないでしょうか?
まず前述のプログラムの話ですが、プログラミングの基本は「命令文」によって実行されます。実行したい内容をキーボードを打ってパソコンに命令しているんです。これは日常生活であれば「アレクサ、音楽をかけて」に似てないでしょうか?古いプログラムしか知らない人間ですが、音楽をかけるとなれば結構似たような命令文の一文をプログラムで打ちましたよね?キーボードを使わずとも声で命令をしていることは、プログラムの小さな小さな一歩なのではないかと感じるんです。

またスマートスピーカーを複数台所有すれば、離れたところの人と話ができる、顔を見て話すこともできるものもあります。これはリモートワークに準ずるものを体験できるということにつながらないでしょうか?

 

英語だって

 

その他にも、乳幼児に英語が必要だと考える人が多く、英語教室を保育園でやるとなれば興味を抱く保護者の方は多いですが、来てくれる英語の先生が話す言葉がどうもネイティブイングリッシュに聞こえないということがあるんです(そもそも英語圏の方ではない方が・・・)。その面、簡単な英語の発音をスマートスピーカーに話せばかなり丁寧な英語で返してくれます(EX.犬は英語でなんて言うの?)
英語の勉強はまずこのような単語や、英語の歌をかけてくれるような環境のほうが、もっと丁寧な英語教育につながると思うんです。

 

私はこれらを元に、保育園にスマートスピーカーを導入し、ぬいぐるみの中に入れて使うことを提案しました。ですが、スマートスピーカーそのものに警戒されて却下でしたので、ここまできて私には説得力はありません・・・。

 

スマートフォン依存症というのは聞いたことがありますが、スマートスピーカー依存症というのは聞いたことがありません。利便性ではスマートフォンにまだまだかなわないのかもしれませんが、乳幼児教育の一環としてはよい教材になるのではと考えています。