ヌーソの皿の上

福祉とpc関係の記事です

日本人の主体性って

1.主体性を引き出せ


相談業務を行う時には、「傾聴・共感をし、どんどん本人の主体性を引き出せ。」などと習わないでしょうか?この主体性ってなんなんでしょうね?自分がしたいこと、やりたいこと、本来あるべき姿に近づけるために社会資源をどう結び付けるかが、相談業務の本懐なわけですが、私はその人の主体性なるものを今まで引き出せたのかなーとよく思ってしまいます。

 

2.車の事故


先日、車同士の物損事故にあい、車を買い替えなければならなくなった時のことです。そんなにお金に余裕があるわけでもないですし、家の車庫の大きさなどもあるし、購入できる車はそんなに選べないなーと思いつつ、ディーラーに相談に行ったんですが、営業担当さんに条件を話したら、すぐにあれやこれやと決めてしまい、あっという間に車を買う段階になってしまいました。確かに贅沢は言えないとはいいながらも、車種も、車の色も決められなかったんです。せめて色だけでも選びたいと粘ってみたところ、これを買っておけば間違いないと突っぱねられ、結局選ぶことすら叶いませんでした。きっといいものを売ってくれたんでしょうが、自分の主体性は感じられませんでした。


3.キャンセルカルチャー

もう一つ主体性を紐解くヒントになりそうな言葉があります。それは
「キャンセルカルチャー」
です。最近日本でも耳にすることが多くなった言葉ですよね。

"「容認されない言動を行った」とみなされた個人が「社会正義」を理由に法律に基づかない形で排斥・追放されたり解雇されたりする文化的現象を表す"

引用元:ウィキペディア:キャンセル・カルチャー 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC

 

意味を読んでいるだけで、今の日本の芸能界を表している気がしないでしょうか?
もちろん、倫理的に許されない言動・行動があったり、反社会的な人々との交流、パワハラなど理由はいろいろあるにしろ、問題視された途端に、その人はテレビから見なくなりますよね。
そこにはスポンサーと呼ばれる出資者たちの意向があるにしろ、見る我々という視聴者への配慮が大半だと思います。
テレビという一方通行のものですから、こちらの主体性が最優先されるわけではないから余計に、芸能人はイメージを重んじて、模範的行動をとり続けることが求められる世界なんでしょう。
はっきり言えば、私から見れば不倫をしている人だろうが、認められない薬を使っている人だろうと関係はないんですけどね。
ではなぜキャンセルカルチャーされてしまうかと考えれば、リスクがあるからだと思えます。

 

4.リスクを背負うのが嫌だから

キャンセルカルチャーされてしまう人たちって、「また何か悪いことをするであろう」「自分であんなことをしておいて~。」「自分のことを棚に上げて~。」と言われるかもしれないリスクがありますよね。
だから、その悪いことをしたイメージが強ければ強いほど、テレビで見ることは少なくなるんでしょう。そのリスクを負っても、視聴率になるんであれば戻ってこれるんでしょうが。

でもこれって、我々の主体性の話なんでしょうか?視聴者の主体性を重んじられているから、テレビに出れないんでしょうか?
見る側の我々としては、また社会的に理不尽な行動を見たくないという拒否権の話であって、主体性の話ではないんですよね?
テレビチャンネルを変えるという選択肢を、主体性だというんでしょうか?

よく言われる言葉に、「日本人の特徴に、権利は求めるが、自己主張が苦手」という言葉もありますよね。
権利を求めることが主体性だと思う節があるように思うんです。

そしてその権利ってなんなのかと突き詰めると、リスクを背負わないことのように思うんです。

 

5.排他的

自分の権利を守るために、すべてのリスクを退けることが主体性ではないと思うんです。
絶対的安定は主体性ではないんです。人に何を言われても「自分がやりたいことをする」のが主体性なはずです。

なので、私などは車を選ぶ時なども、本当は自分が一番乗りたいものをアピールするべきだったんだろうなと思うんです。営業さんにテキパキと最適なものを勧めらるのではなく、自分の目で確かめて自分が納得したものを買うというのが、主体性なわけです。結局私はリスクを背負いたくなく、営業さんの言いなりになったわけですが(笑) しかも使ってみて全然不満はないし、とってもいい車なんですが(恥)

人の主体性を引き出すって、この日本人という特性から見れば余程難しい問題だと思います。
私たちは、排他的にものを考えず、利点に目を奪われず、自分のやりたいことに目をむける努力が必要なのではないでしょうか?