ヌーソの皿の上

福祉とpc関係の記事です

セカンドチャンス

 

自殺者

 

多様な生き方が認められ始めた現代日本ですが、精神病に苦しんでいる人の数は400万人以上と言われています。

近年生きやすさを求めるため、窮屈な概念にとらわれない生き方が注目され始めたのに、令和4年度の自殺者数も昨年度とほぼ横ばいで2万人を越すレベルにあります。「休みが必要だ」「もっと休養を」などと騒がれていたのに、コロナ禍で比較的休みが取りやすくなったのにも関わらず、その自殺者数は変わりませんでした。それとは逆に、一時は「コロナか経済どちらかで人が死ぬ」とも騒いでいた時期もありましたよね?こうやってコロナの時期を越えて、改めて自殺者数を追ってみても、この問題の根深さが際立つような気がしています。

 

厚生労働省の統計情報によれば、死亡要因別で見たときに自殺は全体では第7位を占めています

 

図1

 

引用:厚生労働省 令和3年(2021) 人口動態統計月報年計(概数)の概況

https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/nengai21/dl/gaikyouR3.pdf

 

また国際的に見ても、自殺率は国別でも第6位と高順位にあります。

 

自殺そのものを0に近づけるための話をしたいわけでありません。ただその自殺者の中には、人生に絶望した人たちが一定数いるはずです。では、その人たちに必要なモノは何だったのかと考えたときに、

私は人生にもう一度チャンスを感じるものが必要だと思ったんです。つまり日本でもセカンドチャンスの間口を広げるべきではないでしょうか?

 

 

セカンドチャンス

 

セカンドチャンスとは、キリスト教の一派で唱えられている宗教思想の一つで、キリストの福音を聞くことなく死んだ人々も死後、よみ(陰府、黄泉)の世界で福音を聞き、回心の機会が与えられるとするものです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%82%B9_(%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99)

 

またこの宗教的考え方が影響しているアメリカにおけるセカンドチャンスでは、

 

アメリカの少年犯罪者の更生施設を取材して驚くのは、施設と更生プログラムの多さ、柔軟性である。そこには、少年犯罪者にやり直しのチャンスを与えようという考えが深く根づいていることを実感させる~後略~

https://www.keiwa-c.ac.jp/wp-content/uploads/2017/09/vt024-3.pdf

 

とそのセカンドチャンスそのものの機会の多さを感じます。

 

 

一方日本に目を向けてみます。少年犯罪者と比較するには難しさがありますが、例えばフリースクールに注目してみましょう。日本ではフリースクールを「不登校や学校が合わない子どもが通う学校外の学びの場」と定義されています。現在の日本の不登校児数29万5925人と30万人に迫っています(参照元https://www.j-cast.com/kaisha/2022/11/20449736.html?p=all)。それに対してフリースクール数は500箇所近く設置されていますが、民間のフリースクールの利用率は、不登校児童数のうちのわずか3.7%しかありません。この問題は民間施設側のサポート問題そのものよりも、利用を促す支援の少なさが問題にあると言われています。さらにフリースクールの中には、学校の代替と認めない、学び場として認められないフリースクールも存在しており、その柔軟性の低さもうかがえる事態です。

 

 

なぜセカンドチャンスの間口が狭いのか

 

この問題に触れる前にまず、私の主義・考え方を申し上げますと

・死刑という極刑そのものは賛成

再犯率が高いとされる性犯罪者は、幼児・女性に接する職種への再就職は反対

という考え方でいます。

その上で申し上げるのは、日本社会は一度失敗した者への取り扱いが厳しいと感じています。2022年末に大きく取り上げられた保育園での不適切保育・虐待行為の問題を例に取れば、一度このような問題を起こした保育士が、また保育業界で働くことを日本の社会はとても嫌うと思うんです。介護職員の高齢利用者への暴力行為についても、何度もニュースになっていますが、その介護職員たちも同じく二度とは介護現場には戻れることはないと思うんです。

 

「そんなことをした、保育士(もしくは介護員)に家族を預けられるか」

と思いますよね?私も自分の家族をそのような行為をしたことがある人に、進んでは預けたくはありません。

私自身もそういう感情がある上で、我々日本人というのは、あまりに善悪の二元論でものを語りすぎているのだと感じてしまうんです。勧善懲悪が完全超悪に変換されているのではないかと感じるくらい、日本人は絶対的正義を信じていないでしょうか?正義は必ず勝つと信じていないでしょうか?

あまりにこの2者の線引きが強すぎると思うんです。失敗をした者、犯罪を犯した者への社会復帰の窓口は、まず自分の中にもあるこの二元論からの脱却が必要なのだと感じてしまうんです。この2択だけでは日本のセカンドチャンスの間口は広がってはいきません。

 

最後に

私は福祉職というのは、日本社会のセーフティネットとしての役割と同時に、働き口・職のセーフティネットとしての役割もあると思っています。決して高くはない賃金で、食べていくだけでも苦労しながら生活をする身なのに、それでも必死に困っている人たちの支援をしているのが福祉職だと思っています。私はそれを誇りに感じています。福祉職は如何に生活は貧しくても、心だけは貧しい者達ではないと信じているからです。だからこそ、犯罪を犯したものでも、もう一度福祉職につけるような更生プログラムなどの導入をしていただき、福祉現場に復帰できる機会を作っていただきたいと願っております。怒りや憎しみはごもっともでも、その報復だけで終わらせないで頂きたいんです。

我々にチャンスをいただければ、必ずや日本のセカンドチャンスの間口も広がるものだと信じております。