ヌーソの皿の上

福祉とpc関係の記事です

大問題:「~してあげる」とは?

「~してあげる」4歳娘の言葉で感じた日本の大問題

toyokeizai.net

先日こんな記事を見つけたので、私も書いてみようと思います。

私は福祉職として、支援者の端くれとして、
「~してあげる」
等と思い、そんな驕った(おごった)気持ちで仕事をしてきていなかったか?と思い返してみました。


記憶のどこかに、そんなことを言われたこともあったなーと思う反面、そう私に指摘してきた人にある共通点があったようにも感じています。

私自身、そんなに驕った気持ちで仕事をしてきたつもりはありません。
というより、そこに着目する余裕なんてなかったと思っています。
介護にしても「~してやってる」なんて気持ちよりも、一日内の業務量ばかり考えていました。明け番などから引き継いだ仕事をこなし、私の仕事を引き継ぐであろう後番の人の負荷を一つでも減らすことばかりに着目していました。とらえようによっては、利用者さんを思ってなどいなかったです。同僚、先輩たちが怖くて、その人たちに業務を残すとあからさまに嫌な顔をされる、仕事が終わらなかった理由を説明しろと言われてばかりでした。そんな私が利用者に「~してやってる」なんて思う余裕なんてなかったと思っています。

その気性の荒い同僚たちは、会議になれば自分や仲の良い仲間のケアがいかに優れて、良いケアをしているか、なれ合う姿を見せられていました。
その姿に辟易していた頃、異動命令が出たときには喜んで、違う部署に移ることにしました。

他部署を経験し、歳を重ねるうち、私は自分のポジションに責任を持ち、私を軽んじてくる人も減っていきました。
でもそうすると、ライバルたちが現れました。同期ならまだしも、転職組のかなり年上の女性たちが、私を敵視してきました。

その人たちは、私が提案したものにはひどくダメ出しをしてきました。時には上司に提出前の資料なども「先にみせろ」といわれ、会議前の武装準備をされたこともありました。
あからさまに貶められたこともあります。言われないとわからないよーと思うことも、後だしで調べが足りないなどともいわれましたね。

ちょっと愚痴が多くなってしまいました(恥)

でも言いたかったのは、介護時代の先輩やその気性の荒い同僚(自分ではそう思っていない人でもあります)たち、やけにライバル視(誰よりも出世意欲の強い人)してくる人たちには共通点があるように感じるのです。

この人たちのケアこそが、「してやってる」感が強かったなーと思うんです。
もっとかみ砕いた言い方をすると「この仕事をしたのは私です」というようなアピールが強い人達でした。
どうも人の影でしか動けない私から見れば、アピールのうまい人達だったなと思うんです。そして取り入るのがうまいので、出世も早い人達でした。

私の妬みや偏見が強い視点かもしれませんが、
「してあげる」は「してあげてる」自分のアピールなのではないでしょうか?

もう少し掘り下げれば、自己表現のうまい人であり、マウントを取ることに優れた人物像が浮かび上がってくるのです。
半面、自分に自信のない人なんでしょうね。人の評価、人の目にどう映るかばかりにとらわれている人です。

そのように突き動かす原動力には、強い競争心が根底にあるようにも感じます。そのため常に「敵」を探し、「敵」にマウントを取ることで自尊心を維持する人
というのが、私の中での「~してあげる」が強い人の印象です。

一人っ子で育ったので、昔から母には「あんた(私のこと)には競争心というのがないのか?」と言われるくらい、どうも競うことが苦手です。なので、ライバル視してくる人、マウントを取る人、競争心むき出しな人はどうも馬が合いません。
でも、その人たちのケアが著しく悪いかというとそうも感じてはいません。競争心という比較の中で生き続けている人たちなので、ケアそのもののバージョンアップ、成長も感じられる人達でした。

ただ「~してあげる」が強い人達なので、利用者も選ぶ傾向もありました。「良くしてくれた」、「優しい人だ」と評価してくれる人には良く尽くしますが、卑屈になっていたり、反応の薄い利用者へのケアは手厚かったとは言い難かったです。

私は「~してあげる」感が強い人を否定するつもりはありませんし、それで本人たちが満たされるのであれば、同じ福祉の世界で働いていてもいいと思っています。でも、ケアに差をつけるのはどうも納得がいきません。ケアの反応の薄い利用者や、精神疾患を持つ利用者とは支援者として距離を置くことが必要な時もありますが、分け隔てないケアを行うことがなによりもプロとして必要なことだと思っています。

いつも言っていますが、職場やケアの場で、自分の人生の帳尻合わせのようなことをする人は嫌いです。あなたがいなくても、みんな生きていけるし、あなたの基準は世界基準でもないことに気づけないことは、人として残念な人だと思います。