「今までどうしてたの?」
「ご心配していただいていたんですね。ありがとうございます。いろいろあっていつも通りの記事が書けなかったんですよ。」
「忘れられたかと思ったよ(笑)」
「いやいや、うちのブログの人気コーナーなんで、はりえさんを忘れるようなことはありませんよ」
「さて、今日のお題なんですけど、『安楽死』にしようかと」
「久しぶりに来たかと思ったら、また難しい話をしているね。」
「いやいや、一応聞いたじゃないですか、お題は『自由』と『安楽死』どっちがいいですかって」
「だから『自由』は、『束縛されないことが自由じゃない』っていったじゃない」
「それ歌の歌詞だし、それで終わっちゃったら記事になりませんから・・・。」
「私はどうも安楽死という言葉ばかりが出回りすぎていると思うんですよ。」
「そんなに聞く言葉かい?」
「SNSでよく見かけてますよ?」
「苦しみたくないからじゃないの?」
「最近父は『死にたい』という発言を繰り返しています。母(父から見た妻)が亡くなって、『早く母さん迎えに来てくれないかな』とお迎えが来ることを望んでいます。」
「父としては、父の人生はもう終わったんでしょうね。本当は母に見送られて先に死ぬと思っていた節があるので、まさか母を見送ると思わなかった、そして母のいない人生にめんどくささを感じいるようなんです。」
「死に対して、どこか仏教的な考え方の、輪廻する考え方というか、来世への希望があるような気がするんです。」
「どうも私は宗教心がないので、来世という考え方がないですし、来世に希望をもったりできないんですよ。ちょっぴり『あったらいいな』くらいには思いますけどね。」
「おらも、どちらかといえばそうかもね。人が生きている意味なんかわからないから、別に死んだ後のこととか考えないね。」
「死というものを簡単にとらえられ過ぎているんじゃないかと思ってしまうんです。そのままで『安楽死』というものを進めていくと、人の生き方が苦しくなると思うんですよね。」
「どういうこと?」
「はりえさんの言う通り、私も人が生きている意味なんてそもそもないと思うんです。人から見れば情けない人生だったり、『自分がそんな人生を歩むことになったら辛くて生きていけない。』と思うような話だってありますよね?」
「でもそれでも生きている人はいるんですよ。人から見れば『希望』『夢』のない人生に見える人だとしても。それが『安楽死』を広く認めると、『あの人なんで生きているの?』『私なら耐えられないから安楽死するわ』なんていう厚かましい言葉がはびこる気がするんです。」
「なら安楽死は、限定的にしよう。」
「えー、もう話をまとめるんですか(涙)」
「病気の人に限定すればいいんだよ。」
「ちょっと端折りすぎですよー(泣)、いっつもそうなんだからー。」
「『安楽死』を通して、人を勝手に評価してしまいそうな気がするんです。それって福祉とは反対側の考え方だと思うんです。どんな人でも生きていていいし、死まで位置づけや基準を作ってしまったら、『死』が最大の福祉になってしまいます。それって何かと比べすぎなんだと思うんですよ。」
「どんなに社会のため、日本経済のための一案だったとしても、『老人集団自決』なんて言葉がでてきた途端、世間は右往左往と混乱しだすこと自体、私には到底理解できません。全く取り合う必要のない言葉だと感じてました。」
「そんなこと言った人いるの?」
「はりえさんは、後でネットで調べてください。」
「だいたい、日本では安楽死は認められているの?」
「一応こんな風にあります。」
患者の権利に関するWMAリスボン宣言 1981年では
“患者は、人間的な終末期ケアを受ける権利を有し、またできる限り尊厳を保ち、かつ安楽に死を迎えるためのあらゆる可能な助力を与えられる権利を有する。”
引用元:
「また安楽死に関してもこんな種類があるんですよ。」
消極的安楽死:苦しむのを長引かせないため、延命治療を中止して死期を早めること。
間接的安楽死:苦痛を除去・緩和するための措置を取るが、それが同時に死を早めること。
積極的安楽死:苦痛から免れさせるため意図的積極的に死を招く措置を取ること。
引用元:
今の日本で安楽死という言葉として使われているその多くは、このうちの積極的安楽死に当たると思うんです。
この積極的安楽死についても許容されている範囲があって
・患者が耐えがたい激しい肉体的苦痛に苦しんでいること
・患者は死が避けられず、その死期が迫っていること
・患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くしほかに代替手段がないこと
・生命の短縮を承諾する患者の明示の意思表示があること
引用元:
「私は今回この題目として取り上げているのは、これ以外での『安楽死』を推進する事に対して反対をしているということになります。」
「なんだそら?よくわからん。脳と心臓が止まれば延命措置をしないとかそういう話なんじゃないの?」
「いやいや、だからそういう医学的な話ではなくて。」
「脳か?心臓か?・・・そうか心臓じゃないか?心臓が動いていたら生きているとして~」
「はりえさん、そっちで話を膨らませないで。専門外ですから。」
「でもさ、ヌーソさん。死ぬために海外に行く人もいるって聞くじゃない。そういう人ってどんな気持ちなんだろうね?」
「人間は大なり小なり、精神的苦痛を伴いながら生きているんですよ。四角四面に生き過ぎだと思うんです。」
「それが家族だとして、死なせたくないのかい?」
「自殺の延長線上的な意味合いで、安楽死という選択肢が増えてほしくないんですよ。」
「人は家族が苦しむ姿に、毅然とした態度で居続けるられるものなんだろうかね?」