「もう毎回言ってるから、申し訳なくなるんだけど・・・」
「はい?」
「この道徳だか、哲学みたいなお題でおらと話して記事になるのか?」
「ええ、大丈夫ですよ・・、ちゃんと福祉の話に持っていきますから(汗)」
「でははりえさん、道義的の印象って、ほかにあります?」
「意味?全然わからないよ?ほとんどまったく。」
「なにか常識を問われることのような気がするね」
「言葉だけではイメージが膨らまないようなので、さっそく事例をだすと、
ある介護事業者が、利用者さんの自宅に訪問した時、約束した時間に伺ったのに利用者さんがいなかったそうです。のちにわかったのは、利用者さんは在宅しており、自宅で亡くなっていたそうです。しかも、業者が訪問した時間帯には存命だったそうなんです。
家族はこれにとても憤慨し、救命行為を行わなかった介護業者の社会的責任について裁判を起こした。
という事件があったそうです。」
「ん?何点かわからないけど、ピンポン(ドアフォン)は鳴らしたけど、出てこなかったのに、どうやって救命行為をしろと?」
「介護業者の場合、サービス提供には必ずケアマネジャーが給付管理する必要性がありますし、ケアマネジャーに連絡し、ケアマネジャーから家族に連絡をして訪問していれば、命は救えたのかもしれないということです。」
「ただ、利用者さんは高齢ですから、約束を失念することも多々あるんですよ。実際私もデイサービスで働いていた時には、デイサービスのお迎え日に行っても、不在だったり、その場で、『今日は行かない』などと断られることも多々あるんです。だから、業者側としてもそれに慣れてしまうと、このようなケースに陥る可能性があるわけです。」
「よく約束をすっぽかす人相手に、いちいちことを荒立てるようにケアマネや家族に電話をかけるのは、逆に嫌がられそうだよね。」
「それも一理ありますが、家族としては家族の死に怒りがあることも確かで、どうしても社会的制裁を加えたいと思うんでしょうね。」
「そして、その裁判で問われるのが、社会的責任。要するに『道義的責任』というわけです。」
道徳や人として行うべき道理などから生じる、任務を行うべきであるということ、あるいは、任務を行わなかったことによる責めなどを意味する表現。
https://www.weblio.jp/content/%E9%81%93%E7%BE%A9%E7%9A%84%E8%B2%AC%E4%BB%BB
「逆に難しくなった。法律(法的責任)と何が違うんだい?」
「(汗)法律の話が絡んでくるので、あまり明確な区切りを作るのは難しいんですよ、実際道義的責任で法的な責任は問われなくても、量刑の重さは左右するそうですし」
「法的な責任は問われないのかい?」
「そうです、例をあげた介護事業者の話も、判決としては結局無罪になったそうです。」
「このシリーズで、はりえさんも言ってたじゃないですか。『家族が殺されたら、犯人を殺したい』と。誰しも家族の死には感情的になるものです。道義的責任で裁判を起こしたいという気持ちは理解できるんじゃないですか?」
「うーん、難しいね。この事例だと。最初に言った『常識』が人(家族、介護業者)によって違うからね。普段から約束を守らないのに、こういう時だけ相手に責任を問うというのはさ。」
「社会的責任なんて、一般常識を問う話だろ?常識を言ってくる相手はめんどくさいね。」
「社会責任って客観性をどこにもったらいいんだか。」
「非を認めるには2種類あるそうです。
損害賠償義務を負う →法的責任
損害賠償義務を負わないが心情的に申し訳ない→道義的責任
に分かれるそうです。」
「特に、この道義的責任を福祉現場に問われることが多くなったんですよ。」
「ほかにあるかい?」
「例えば保育園です。親が保育園に子どもを預けるのを忘れ、車の中に子どもを放置して亡くなった話がありましたが、保育園が確認連絡をしなかったことを、『園の責任は重い』と発言しました。しかも発言したのは保育園の担当大臣である少子化相がです。これも道義的責任に対してです。」
https://nu-so.hatenablog.com/entry/2022/11/16/193000
「これの問題は昨年だけで終わらなく、今年も同様の事件があった時には、保育園は早急に保護者会を開いています。」
https://nu-so.hatenablog.com/entry/2023/09/16/120000
「この道義的責任というのは、社会全体の関心を集めるものだと思います。そしてその関心度が、大きく責任の度合いを変えてしまうような気がするんです。」
「それだけ、みんな介護や保育に興味があって、頼りにしているってことだろうさ。」
「ただ、よくヌーソさんが言ってるので、善悪があって、悪には責任があり、裁かれる。と思っているところは日本人にはあるよね。」
「善悪2極論の話ですね?悪意があってのものなら裁かれるべきものですが、過失のものには善悪はなく、安全配慮の問題ですからね。今の福祉現場は、そこに悪質さを探されている気がして。」
「誰しも、自分が悪い人間だとは思っていないからね。自分が正しいと思って生きてるんだよ。だから、どこかに悪い人間がいると思っちゃうのかね?」
「あまり先入観を持たず、『火のないところにはなんとかっていうからねー』みたいな言葉はやめた方がいいかもね。」
「その言葉、私大っ嫌いです。その言葉を使う人は、『火のないところ』を『非のないところ』と変換している気がしています。ほんと迷探偵ぶりを発揮しないでほしいです。」