ヌーソの皿の上

福祉とpc関係の記事です

寄付行為って

2023.2.6に起きたトルコ大震災で被災された方にお悔やみ申し上げます。

 

 

さて、災害が起きると義援金を募りますよね。今回はその寄付金についてまとめました。

 

 

まず、寄付金と寄附金の違い

 

この違いを調べると色々出てきますね。でもどうも違いが分かりにくかったので、私流で調べてみました。

 

寄付金と記載しているサイト・・・

https://www.jrc.or.jp/contribute/

 

https://www.akaihane.or.jp/

 

  • 国境なき医師

https://www.msf.or.jp/

 

 

続いて、

寄附金と記載しているサイト・・・

 

https://www.npo-homepage.go.jp/kifu

 

https://www.city.sakai.lg.jp/kenko/fukushikaigo/hojin/df_filename_736599.html

 

https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=326AC0000000045

 

となっています。

 

 

まとめると寄附・寄付で意味の違いはありません。

問題は「附」と「付」の違いであり、当用漢字表上ではなるべく「付」を用い書き表したほうが望ましいとされています。ただし、法令や公用文では「附」が用いられることになりました。

参照元:教育出版株式会社

https://www.kyoiku-shuppan.co.jp/textbook/chuu/kokugo/guidanceq004-00.html

 

 

次に類義語

 

ここからは寄付金で表記します。

寄付といっても、類義が多いですよね?(注:大丈夫です、言葉の由来などを説明したわけではありません)

その寄付の類義語と、受け取る側を一覧にしてみます。(献金などの個人・団体どちらにも使われる言葉は除きます)

 

寄付金・寄附金(拠金・奉加金

・・・社会福祉法人NPO法人などの団体への金銭を贈ること(団体)

 

募金(カンパを含む)・・・組織・団体が寄附金を集めること(団体)

 

義援金・・・国や自治体・支援団体が受け付けて被災者宛てに直接贈られるのが特徴・義金(団体)

参照元:公益財団法人 モラロジー道徳教育財団

https://www.moralogy.jp/contribution20211005/

 

支援金・・・支援団体に寄付し支援に役立ててもらうこと(団体)

参照元日本財団

https://www.nippon-foundation.or.jp/donation/disaster-fund/infographics/wha_pro_dis_inf_01

 

ふるさと納税・・・生まれた故郷や応援したい自治体に寄付ができる制度(団体)

 

お布施・・・僧侶に渡す金銭のこと(個人)

 

チップ・・・サービスしてくれる人に対してへのこころづけ(個人)

 

チャリティー・・・慈愛・慈善・博愛または同胞愛の精神に基づいて行われる公益的な行為・活動のこと(団体)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%AA%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC

 

バクシーシ・・・中東および南アジアの慈善的寄付、喜捨と同義(個人)

 

施捨(ししゃ・せしゃ)・・・貧民に施すこと(個人)

 

喜捨・・・僧や貧者に金品を寄付すること(個人)

https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%96%9C%E6%8D%A8/

 

 

現代日本での寄付行為から感じるもの

 

思いつくだけの言葉を羅列してみましたが、前段をみてどう感じましたか?日本では個人に渡す寄付より、団体へ渡す寄付の言葉のほうが多いと感じないでしょうか?

 

日本の寄付行為は団体や、組織を経て受け取る側に公正・平等に配られるものが多いようです。「誰」ではなく、「被災者」「生活に困窮している方」など、「公平性」の高いものに意識されています。

上記で挙げた言葉の傾向から言っても、個人に寄付することはキリスト教や仏教という宗教的背景を感じさせます。宗教的な背景の寄付行為の場合、寄付する行為そのものが当たり前だという考えに基づいています。その代わりダイレクトな支援になるため、寄付金は早急に役立てられるわけです。

 

でも、日本では、「バクシーシ」や「お恵みを」と寄付を募る人を多くないですよね?

つまり日本人の寄付行為というのは、早急な個人への支援よりも、確実でかつ公平で公益性という、どこかしら社会へのリターンを寄付行為に求める傾向が強い、と私は感じています。

 

そこから発展させて考えると日本人という民族は、西洋のような個人化・個人尊重型の考え方より、やっぱりアジア的家族主義の家族中心主義の考えに戻ってきているように思えるのです。

家族中心主義というのは、ある意味組織に権威を求める考え方だと思っています。

だからこそ公平性を求めるのではないかと。公平性を求めるその逆には、寄付を受ける人が儲けるようなことがあってはならない、という気持ちも隠れていますよね。

 

だからか寄付した支援団体には透明性を求め、さらに速やかな効果を強く求めていないでしょうか?

この部分に関しては、いろいろ学術書を検索すれば出てくるので、私はさわりだけ。

 

ただどこか自分自身も、日本人特有の考え方に、埋没していっているのではないかと、ちょっとした危機感を感じているんです。私は個別化を宗教だとは思っていません。

 

 

今はトルコ大震災で被害にあわれた方が、一日も早く復興し、元の生活に戻れますことをお祈り申し上げます。