ヌーソの皿の上

福祉とpc関係の記事です

ニュース特集:個々の幸せを守るために

 

IQ70で軽度知的障害の女性、いじめや不登校よりも「障害を受け入れることが一番難しい」 ”境界”にいるからこその苦悩 9/26

https://news.yahoo.co.jp/articles/c7aa51c465758a46efe2ddabad5fb70abeb8649b?page=1

 

"私がとてもショックだったのは、当時よく遊んでいた友達に『私が支援級に移ったら、どう思う?』と聞いたところ、『えっ…無理。友達止める。一緒に遊ばない』と言われたことです。"

 

IQ70で軽度知的障がいという境界にいるために、苦しんだ過去のことを赤裸々に話されていますね。自分の身を削り、社会に提言する姿勢に敬意を。

 

多分、「障がい」と区分けられた人に、私は仕事上たくさん会ってきました。

人の幸せなど推し量れるものではありませんが、その多くの人たちは残念ながら「幸せそう」とは言い切れない方が多かったと思います。

この方の様に「今は楽しく笑って、のほほんと生きていい。」と言える生活を手に入れられたことは、なによりなことではないでしょうか?

 

いつも思うのですが、障がいの在る無しや、法の整備、自立支援法の予算や財源、福祉の在り方などは、所詮途中経過に過ぎないんですよね。

その枠組み、仕切り、セパレートという括りを何とかするのではなく、個々の幸せはどう守れるのか、どうやって幸せな毎日を送れるかが、最終目標なはずです。

 

どうもこのような話を聞くと、私たち福祉従事者が頑張っていることは、個人に標準があっているのかと自問自答したくなります。過程にばかり気を取られていないかと考え直すきっかけになります。