ヌーソの皿の上

福祉とpc関係の記事です

居酒屋けんざん(17) 障害児が家族であるということ

「はりえさん、先日こんなニュースをやっていたんですよ。」

 

国連・障害者権利委が日本に初の勧告 脱施設へ予算配分を

https://www.fukushishimbun.co.jp/topics/28319

 

国連から「支援学校・学級を廃止せよ」と勧告される!だが安易な一元化は別の問題が出る!

https://shohgaisha.com/column/grown_up_detail?id=2573

 

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国連の障害者権利委員会は99日、障害児を分離した特別支援教育の中止と精神科への強制入院に関わる法律の廃止を求めた勧告を日本へ発表しました。国連の勧告に強制力はありませんが、影響力としては大きいでしょう。

 

国連の要求とは「障害を持つ児童すべてが、どの教育レベルでも合理的配慮や個別支援を受けられること。そのために十分なリソースを確保し、質の高いインクルーシブ(年齢や性別、国籍、心身の障がいの有無に関係なく共生していく)教育の実現に向けて国家を挙げて計画し動くこと」です

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「私はちょっと怒っていて~・・・」

 

食い気味に「なんだそれ(怒)」

 

「おかしいよ、なにがだめだっていうんだい」

 

「いや、あの~」

 

「そんなことして、傷つくのは障がい者の子どもたちのほうかもしれないじゃないか。」

 

「そ、そうですよ。私もそう思っています。そもそも障害の度合いが軽い子たちなら、実際健常者クラスと一緒に教育を受けることもしてますしね。」

 

「重度の障害を持つ子供をみたことがあるのかい?例えば30分に1回サクション(唾液を吸引する機械)をしなければ呼吸がままならない子もいるんだよ。サクションの音だってすごい音がする中で勉強するってことだろ?周りはただ我慢すればいいさ、でもその気づかいに本人が傷つくかもしれないないんだよ?」

 

「それでも合理的配慮の元といってますし・・・」

 

「まわりが配慮すれば、なんでも本人は救われると思っているのかい?ただの理想をいって、本人達を苦しめる結果になることも想像しないのかい?そういうのを恩着せがましいっていうんだよ。おらが言いにいってやる」

 

「はりえさーん、ちょっとだけ落ち着いて。」

SNS上でも賛否が分かれる勧告だったようですね。でもこの合理的配慮を今の日本で引き受けているのは、障害を持つ子の母だけかもしれないんです。」

 

「どういうことだい?」

 

国連のニュースの後、現代ビジネスがこんな記事を出しています。

 

 

周産期医療発展の矛盾…働く30代母の慟哭「重度の障害を持った我が子を自宅でどうやって育てていけばいいのか」

https://gendai.media/articles/-/100332?imp=0

 

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国立成育医療研究センターの調査によると、2015年~2016年の妊娠中から産後1年未満の女性で、死亡した357人のうち、102人が自殺していることがわかった。

 

上記のデータは障害が理由だけではないが、妊産婦死亡の中で、多くを占めるのは自殺だったのだ。

 

中略

 

「正直、病院側は家に戻そう戻そうと準備をはじめるのですが、自分の心は宙ぶらりんでした。我が子なのでもちろんかわいい。でも、それは健常児としての我が子であり、障害をもった我が子をどう対応すればいいのか、首も据わらない、ご飯も食べられない、家でどうみればいいのか、まったくわからない」

 

中略

 

医療的ケア児法案ができ、保育園や学校など就園、就学に関しては画期的な制度でしたが、生活面に関しては、まだまだ母親の負担が大きすぎます。

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「金銭面を含め生活を支えているのも母親、医療的ケアをするのも母親、この教育を支えているのも母親なのが日本の現状でもあるんですよ。」

 

「その責任の重さから、母親の自死についても注視するべきかと思っています。重度の子だけに注目しましたが、軽度もしくはグレーゾーンと呼ばれる判断が難しい子どもの場合、その多くが幼少期に障害判定をするかに悩み苦しむんです。」

 

「それはわかるよ。障害だと思い手帳をもらいに行って、その子が大人になったときに『障がい者だと決めつけた』などいわれる結果になるのは、母親として何より怖いよね」

 

「ある意味、障害という枠組みのない保育、教育を小さいうちは受けるわけです。ですが、その中でも母親は救われないんですよ。」

「問題ないと思いたい。でも、普通と違う、一般的じゃない。先生たちにも(障害の)診断を受けたほうがいい、などと言われる。その言葉が母親を苦しめます。」

 

「辛い言葉だね。」

 

「この時に一番力にならなければならないのは、ほかならぬ父親なはずです。ですが、私が見てきた中ではグレーゾーンの子どもの父親たちは『個性だ』『障がい者だと決めつけるな』『ちゃんとした教育を受けさせれば』と結局母親を板挟みにする見解なことが多いんです。」

 

「相談できる人がそうだと、一人で問題を抱えることになるね。どこの誰に相談すればいいんだろうね。」

「母親は産んだ子だから、こう産んでしまったのは自分の責任だと思ってしまうんだよ。悪いほうに真剣に考えすぎないで、いい方向に考えてほしいよ。」

 

「この母親たちを救えるのは、社会的機関ではないと思うんですよ。社会全体の我々がどう支えるかだと思うんです。そう考えると、インクルーシブ教育の充実化を訴えた国連の勧告は、一つの問題提議と捉えていもいいのではないかと思うんです。」

 

「我々の問題ね。どうもおらたちの世代って、『障がい者をじろじろ見るな』などと言われて育ってるんだよね。好奇な眼で見るなという意味なのはわかる。それでも『臭いものには蓋をする』のような問題をちゃんとみてこなかった世代なんだとも思うんだよ。」

「それとは別に、親切心で障がい者を、手取り足取り、自分でできることまでやる人もいる。そういう人ってその障がい者を一生面倒見れるのか?と思ってしまうんだよ。なんでも手をかければいいってわけじゃない。障がい者との『共生』の準備が出来ていないんだよ」

 

「この『共生』という意味も、

『障害者として』

なのか

『障害なんて関係ない』

と考えるのかで、意味合いが大きく変わってくるような気もします」。